※初めの30秒に入っているインタビューが結構貴重。

わたしの音楽歴、このひとたち抜きには語れません、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)。「タータン・ハリケーン」を巻き起こした「エジンバラの騎士」、「エジンバラの貴公子」たち。ベイ・シティ・ローラーズは、わたしの初めての、そして NO.1 の外タレ・アイドル。姉と共同おねだりで、レコード(シングルのぞく)を全部、写真集なども買い揃えて。また、このところ、ちょこちょこと聴いています。

活動期間は、1974年から1978年。当時、テレビでも銀座ナウのポップスベストテンではいつも紹介されていたし、文化放送では「輝けベイ・シティ・ローラーズ」という番組もあり大人気。

曲となると好きなものが、多すぎるので、時折、来日テレビ映像やCMにしぼり、探したりはしていたのですが、なかなかこれっていう来日映像が...。「銀座ナウ」に出演してたとか、イメージが具体的にありすぎ、しぼりすぎてしまっていたんでしょうか、ほぼあきらめていたらありました。

こちらは、1976年12月来日の映像。NHKで、ファンを集めてテレビ用のスタジオライブを収録した時のもの。曲は『イェスタデイズ・ヒーロー(Yesterday's Hero)』。レスリーの歌はもちろんですが、出だしのデレクのドラムが効いてます。忘れ去られたロックのヒーローというような内容の曲です。

この来日のときは、イアン・ミッチェル(ギター)は、もうすでに脱退してしまい、パット・マッグリン(ギター)がメンバーとして参加。

ベイ・シティ・ローラーズ、メンバーチェンジが数度ありました。オリジナルメンバーは、レスリー・マッコーエン(リードボーカル)、エリック・フォークナー(リード・ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(サイド・ギター、ベース)、アラン・ロングミュアー(ベース)、デレク・ロングミュアー(ドラム)。アラン脱退後、イアンが加入、のちパット、その後かなり大きな存在であったレスリー脱退後、ダンカン・フォール(リードボーカル、ギター)が加入、というのが、ざっとした移りかわり。レスリー脱退後の活動は、バンド名も変わってしまったので...。

聴きはじめたのはオリジナルメンバーだったアランが脱退し、イアンが入ったころから。上の来日映像には、イアンがいないのが、ちょっと...ですので、おまけ映像(自分へのおまけでしょうか)。

イアンがいた最後のアルバム、1976年の『青春に捧げるメロディー(Dedication)』に入っている同題のこの曲では、イアンがヴォーカル、歌詞に、深夜ラジオのDJがでてくるので好きな曲。



(投稿:日本 2009年11月8日、ハワイ 11月7日)


にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ
にほんブログ村

0 コメント