ちょっと前に手に取った『キャンティ物語』、キャンティのオーナーであり、国際人といわれた川添浩史、梶子夫妻の生涯と「キャンティ」を愛する方たちについてのお話、とっても興味深いエピソードがいっぱい、ゆっくりペースで読んでます。

各界の著名人でにぎわう伝説のレストラン、そして社交場でもある「キャンティ」を描いた『キャンティ物語』、プロローグはレーサー、福沢幸雄(福澤幸雄)さんの葬儀から。

福沢幸雄さんの存在や事件のことは知っていたのですが、その短い人生をどのように生き、川添ファミリーとどのように過ごしたかを、その一章の中で知りました。

So Long Sachio - かまやつひろし ('69)



『ソー・ロング・サチオ(So Long Sachio)』は、キャンティの常連でもあり、福沢幸雄さんと交流が深く、「彼はもうひとりのザ・スパイダースだった」と語ったというムッシュ(かまやつひろし)が「サチオ」のために捧げた曲。

 「たいしたもんだ!」 (語り)
 あいつは、Mmm いつも、汚れたレンガ色のトレンチコート、トレンチコート
 「洗濯屋へ出すべきだったよ、おまえ」 (語り)
 ひとつ ひとつが思い出さ
 胸の中に Oh Yeah
 あいつは、Mmm いつも、暗い汚れた部屋で
 「たまには掃除するべきだったよなぁ」 (語り)
 あいつは Mmm いつも、煙草の煙
 ひとつ、ひとつが思い出さ
 胸の中に Oh Yeah
 あいつは、Mmm どこか遠い空の果てに...

テスト中の事故で他界された福沢幸雄さんは、高校時代からキャンティの常連。『キャンティ物語』が福沢幸雄さんの死ではじまるのは、オーナー、川添夫妻、川添浩史さんのご子息、いまは音楽プロデューサーとしても知られている川添象郎さんや光郎さんとも親交が厚かったということもありますが、キャンティに集まる若者たちには、サチオさんの死を機にした変化もあったからということもあるのでしょう。

福沢幸雄さんが生まれたのは、1943年、ナチスドイツ占領下のパリ。お父様の進太郎さんは慶應の教授、お母様であるアクリヴィさんは声楽家をめざしパリに留学していたギリシャの女性。川添浩史さんの前妻である原智恵子さんとアクリヴィさんとのつながりから一家の交流は始まったとか。



アパレルメーカー・エドワーズの取締役兼企画部長を勤め、さらにファッションモデルとしても活躍していた福沢幸雄さん、小川知子さんの恋人としても知られており、芸能週刊誌なども葬儀には取材にきていたようですが、サチオさんには、モデル松田和子さんという長年の恋人がいらしたようですね。おふたりの出逢いもキャンティ。サチオさんが高校生のころから8年間、いろいろありながらも一緒に過ごしてきたのは年上の女性、松田和子さん。お亡くなりになる前日も一緒に過ごされていたそうです。事故の直後、小川知子さんが「夜のヒットスタジオ」で号泣したのは伝説ともなっているようですが、『キャンティ物語』には、小川知子さん登場しません。でも、福沢幸雄さんの死で悲しみに溢れていたのでしょうね。

「夜のヒットスタジオ」泣きの夜



まだ読みかけの『キャンティ物語』、これから安井かずみさんのお話もでてくるようです。川添浩史夫人、川添梶子さんは、安井かずみさんもが憧れるという女性です。

[読書]
ついこの間まで往復約2時間半から3時間という長い通勤生活を送っていたのですが、仕事場の近くに引越し、通勤時間は約2、3曲(長いジャズものなどだと一曲終わらず)という生活になりました。都心とはいっても、江戸の名残もあったり古き良き町、家で過ごす時間も多くなり、快適生活を送ることができそうなのですが、長い電車通勤ではなくなったので、読書のペースがだいぶ落ちてしまってます。

(投稿: 日本 4月11日、ハワイ4月10日) 


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