このところ仕事忙しく、なんだか気になりお題もたまりつつ、きょうは、最近購入した深町純さんのアルバム『ある若者の肖像』(1971年)。

深町純さんのワークは、中学生の頃から何となく惹かれてきたのですが、意識して調べるというより、「あっ、この曲いいなぁ」と思うと、深町氏のアレンジだったり、という感じなのでした。
初期のソロ作品にいたっては、ほんと、ごく最近。という訳で、深町純さんソロのファースト・アルバムから改めてソロ作品をたどってみようと思い入手。

散歩:
『ある若者の肖像』入手のきっかけにもなったこの曲、『散歩』大好きです。



『ある若者の肖像』は、深町さんが、作詞、作曲、編曲、指揮、ピアノ(ハモンド含む)、そしてボーカルと、ひとり何役をもというもの。

お前:
1971年の作品とは思えない、音のかっこよさ。その後の深町フィールにつながるような。



アルバムのライナーノーツには、朝妻一郎氏によるアルバム評が。
「この深町純という若者が…」で始まり、深町さんのマルチな才能、ピアノ、キーボード演奏のすばらしさ、メロディー、アレンジ感覚への評価と同時に、「作曲家としてのセンスを仮に10とした場合、歌手としての深町純は、6と7の間ぐらいの評価であろう」、「言葉の使い方にももう一つユニークさが足りないと言わざるを得ない」という評論も。そんな中でも、「カラっとした明るい、スケールの大きい曲作り」と述べたのち、「…味のある声だし、メロディーの持っていない悲しさをヴォーカルで表現しているようなところもあり…」と。
まさに、このアルバムの感じ、そして当時の深町さんを捉えているのかなぁと思いました。

薔薇:



アルバムには深町純さんの筆による作品に寄せた言葉もあるのですが、深町さん、とてもやさしい字を書く方なんですね。なんとなく今っぽい、当時にしては、新しい感じの筆跡。(ちょっと見えにくいかな)

「僕の唄う歌が、聞く人の心の中に、少しでも想い出を作り出したら、それは素晴らしいことだと思います。喜びも悲しみも受け入れられないコンクリート・ジャングルの中に生活している僕らにとって写真やテープレコーダーに残すことの出来ないなつかしい日々、心のふるさとを捜したい。そして何かを愛したい気持ちが、僕の歌への情熱かも知れません」

アルバムを数回聴いてあと、ご本人のこのアルバムに関する最近の思いが書かれたものを深町純さんサイトでみつけました。

「恥ずかしいとは言いませんが、若気の未熟さがあって、僕自身は聞きたいと思っているわけではありません。しかし、興味の或る方は…」とあり。
そのつづきを読み、そうだったのかぁと。

このアルバムが限定復刻されたのは2000年だったのですが、復刻版が発売に関してレコード会社側からは相談、許諾などの連絡もなく、サンプル盤も送られなかったとか。
CISUM by Jun Fukamachi「最新アルバムのお知らせ」での深町氏コメントより。
また同サイト、「シリアスなテーマで」には「レコード業界の道義」というものもあり。ここでは、大村憲司さんの『First Step』復刻に関するコメントが。
大村憲司さんのアルバム『First Step』は、深町純さんプロデュースで1978年に東芝レコードで作り、発売直前にいろいろな事情があり発売中止になってしまったものなのだそうですが、大村氏の奥様にも(大村憲司さんは1998年に他界されてしまったので)、深町さん他関係者にも連絡なく、2003年に発売されていたと。

アナログ時代に入手できなかった作品の復刻をのぞむリスナーとして、再販はうれしいものの、レコード会社のこの体勢は…かなしい、と思ってしまいました。

深町氏のコメント一部記載させてただきます。

「現在レコード業界では再発ブームであるように見える。もちろん実際にはCDの売れ行きが低迷している現状の中で、再発はコストも少なく新人のアルバムよりリスクも少ないため、レコード会社の苦肉の策、というのが本当の話だろう。再発されたレコード(現在はCD)の売り上げからアーティストにどれくらいの金銭が還元されるか、皆さんはご存じだろうか…」
契約によって異なるこの条件に関しては
「僕はこのことに異議を唱えるつもりはない。つまり法的には僕たちには主張するべき権利がないからである。そこで冒頭に書いた「道義的責任」を問いたいのである。まず、いちど録音され、レコード会社が権利を得たものについては、メディアが変えても、発売地域を変えても、永遠にレコード会社の自由に、好き勝手にして良いものなのだろうか…」
「…少なくともアーティスト本人やプロデューサーには、サンプル盤を送って報告するくらいの道義があっても良いのではないだろうか。もちろん事前報告や許諾請求があるにこしたことはない」
「…僕自身のアルバムについてもお話ししよう。僕にもかなりの枚数のアルバムがあり、その多くが復刻されている。しかし、そのほとんどが大村氏の場合と同様、何の挨拶もなく再発される。僕がシンガー・ソングライターとして、73年に作り(当時ポリドール)98年頃にユニバーサルで再発されたアルバム「ある若者の肖像」などは、友人から発売されていることを知らされ、自分で新星堂に注文して買ったのである。例外はもちろんある。それがインディーズで再発される場合である。これらの小さなレコード会社はかならず僕に連絡を取り、サンプル盤を送ってくれる。そして「この素晴らしいアルバムを、いっしょうけんめいに売りますから」と言ってくれる。この違いはいったい何だろうか」
「…現在僕の「On The Move」というアルバムもかつてのアルファであり、その再発を僕自身が直接ソニー・レコードに持ちかけているのだが、なかなかOKが出ない。インディーズ関係のレコード会社が再三に渡り交渉しているがダメである。ヤフー・オークションで3万円以上の高値で取引されているにも関わらずである」

「だから、そういう理由で出すことになった再発物に愛情を持つ者などどこにもいないのだ。愛情の欠如が道義的無責任を生むと思う。この愛情は、単にアーティストやアルバムに向けられるものの事ではない。大きな意味で「音楽」に対する愛情なのである。また音楽を愛している多くの消費者、音楽愛好家への愛情なのである」

『ある若者の肖像』にあった深町氏の言葉をあらためて。

「僕の唄う歌が、聞く人の心の中に、少しでも想い出を作り出したら、それは素晴らしいことだと思います。喜びも悲しみも受け入れられないコンクリート・ジャングルの中に生活している僕らにとって写真やテープレコーダーに残すことの出来ないなつかしい日々、心のふるさとを捜したい。そして何かを愛したい気持ちが、僕の歌への情熱かも知れません」

(投稿:日本 2010年11月13日、ハワイ 11月12日)


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