昨日は、CLUB NISEI ORCHESTRA(クラブ・ニセイ・オーケストラ) について、ざっとではありますが、まとめてみましたので、本日は、続きです。CLUB NISEI ORCHESTRAについては、ネットなどでも、不思議な日本語ソング系で話題にはされているのですが、もう少し、知りたいなぁという部分も多い、わたしとしては、いまだクリアになってない部分も多いです。

購入したCDのライナーノーツも、情報は少なめ。その中では、メンバーの名前辺りが手がかりになりそうな。そして、やはりキーとなるのは、多くのひとびとがカヴァーする代表曲『JAPANESE RUMBA(ジャパニーズ・ルンバ)』なのでしょう。まだまだ、不十分なのですが、ちょっと気づいたことがありますので、メモ。

CLUB NISEI ORCHESTRA:JAPANESE RUMBA



こちらは、CD化もされているアルバム『Sayonara - Farewell Tokyo』やコンピレーション・アルバム『Hawaiian Nisei Songs - A Musical Cocktail Of Japanese American Songs In 1950's Hawaii』にも収録されており、CLUB NISEI ORCHESTRAのものとしては一番多く聴かれているヴァージョン。
さまざまなアーティストによるカヴァーもここから派生しているのだと思われます。

そして、『JAPANESE RUMBA』、最初のレコーディングは、多分こちらなのでしょう。

ジャパニーズ・ルンバ 資料音源:
作詞:J・ミラー(Jerry F. Miller)、作曲:服部レイモンド。昭和二十六年。B面は「アリランの唄」­。



日本語で「東京レコード」となっていますが、「PACIFIC BUREAU OF NEW MUSICAL STUDY」とあり、MADE IN U.S.A。こちらの歌唱は、NOBORU NISHIMOTO(ノボル・ニシモト)とGEORGE SHIMABUKURO(ジョージ・シマブクロ)。こちらも資料音源とあって、知る人は知っているという存在。レコーディングは、CLUB NISEI ORCHESTRAの活躍が1950年代中心ということを考えても、おそらく先ということで、同曲ながら、まったく別の存在だといままで思っていたのですが、歌唱にあたっているジョージ・シマブクロは、CLUB NISEIのメンバーでもあるのですね。
(昨日投稿分にメンバーあり:CLUB NISEI ORCHESTRA

作曲者である服部レイモンドこと服部逸郎さんは、日本コロンビア入社前、戦前にハワイへ音楽留学にも行ってますし(1934年(昭和9年)帰国)、その辺りの関係も気になりです。

それはさておき、オリエンタル・エキゾチックなこの曲は、ハワイのみならず、親しまれ、テレビ女優でもあるジェーン&オードリー・メドーズにもカヴァーされています(余談:この姉妹、生まれはCHINAなのですね)。

Jane and Audrey Meadows with the Hugo Winterhalter Orchestra:MAMBO JAPANESE RUMBA
1950年代前半、ビクターS盤シリーズ
オハヨガザイマス♪



そして、戦後のオリエンタル・ブームののち、近年もさまざまな方にカヴァーされてます。そのきっかけを作ったのは、やはり細野晴臣さんではないでしょうか。YMO世代では、こちらが初めて聴いたヴァージョンという方も多いことかと思います。

細野晴臣:ジャパニーズ・ルンバ:
アルバム『はらいそ』(1978年)収録。
当時、あまり気にしてなくて、最近、そうだったのかぁとの気づき。歌唱は、ムッシュ(かまやつひろし)のお父様、ティーブ釜萢さんなのですよね。やっぱり、英語が母語、日本語もCHOTTOな方が歌うのが様になります。



細野晴臣さん、久保田麻琴さん、たしかハワイでのレコーディングの際に、CLUB NISEI ORCHESTRAのレコードと出会った、とかいう話も聴いたことがります。
自己もの参考:細野晴臣さん、久保田麻琴さん関連ハワイ・レコーディング:
久保田麻琴と夕焼け楽団 ハワイ・チャンプルー (アルバム)
鈴木茂 LAGOON ラグーン (アルバム)

ディック・リーもアルバム『エイジア・メイジア』でカヴァーしてますね。

そして、アジア、
マレーシアでは、Kenny Tehさんという方が振り付けのこのダンス、けっこう踊られてるみたいですね。YouTubeにいろいろありました。
曲は、テイ・トウワ(TOWA TEI)のセニョール・ココナッツREMIXヴァージョンで。



[日系二世]
英語でも「NISEI」という言葉は定着しているほど、日系人、特に日系二世の方々が残した形跡は、とても大きいですよね。ハワイでも二世社会を舞台とした小説などもけっこうあったりするのですが、アメリカと日本へのプライド、そしてさまざまな思いをもちながら独自の文化をつくりあげた世代でもあります。
そんな二世の方々も、いまでは、ハワイにも少なくなりました。
そして、二世が愛したお店、場所も変化しています。
日系レコード店、外間ミュージックもなくなってしまいました。

わたしが、お世話になっていた父の友人も、そんな二世。
先日、その息子である現在LAにいるハワイ兄からひさしぶりにメールが。
メールの様子がなんとなく、気になるなぁと思いつつ、こちらハワイから返事を出しました。
そして、このCLUB NISEI ORCHESTRAのCDを手にした昨日、就寝前のメールのチェックで、ハワイ兄からの返信。
恩人でもあるそのおじさまが、11月末に永眠されたことを知らされました。
体調をくずしていることは知っていたのですけれど、去年、ハワイに来たときは、治療もあるので、少し気を使ってしまい、遊びに訪ねなかったのです。
すごく悔やまれます。
一緒に時間をすごすことで、たくさん、いろんなことを知ることができた大切な方でした。

(投稿:日本 2010年12月29日、ハワイ 12月28日)

昨夜、沖縄の"公民館的コミュニケーションバー"、"大人専門夜間保育所"「南国の夜」でレコ部部長、常盤響さん出張でおこなわれた「出張レコ部」でさらなる『JAPANESE RUMBA』のヴァージョンに出会いました。
「オハヨウギザイマス」:D

「パピサン、マミサン、ベビサン~♪」

TWIN TUNES:THE JAPANESE RHUMBA(1955年)



(動画検索に限らず、「ジャパニーズ・ルンバ」、「JAPANESE RUMBA」、「JAPANESE RHUMBA」でさがしてみるのがコツなのですね)

(追加投稿:日本 2011年1月25日、ハワイ 1月24日)


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