本日は、深町純さんのソロ2枚目のアルバム、1972年にリリースされた『HELLO! 深町純Ⅱ』について。自分の記録ちょっとみてみたら、ファースト・アルバム『ある若者の肖像』について、ちょうどひと月前に書いていたのですね。その間に、思ってもみなかった、深町純さん他界という悲しいニュースもあり…。

深町純 ある若者の肖像 (アルバム) レコード業界事情
という感じで、ファースト・アルバム『ある若者の肖像』についてでは、そのすばらしいサウンドと深町純さんが自らのサイトで語られていたレコード業界の事情のようなことも触れてみたのですが、あらためてご本人の言葉をふり返りながら聴くと、深町さんの作品からは、いろいろなものがみえてくるのですね。「そうだったんだ」という発見も多いです。

『HELLO! 深町純Ⅱ』でも、ライナーノーツなどから(2007年に限定で再発CD)、新たなというか、さらなる世界も感じ取ることができました。こちらも、1枚目に続き、ボーカル作品。ファーストが、すべてが自作だったのに対し、こちらは、詞においては、加藤登紀子さん、伊藤アキラさんの提供ものもあり。

収録曲:
1. 小さな子供達への唄
作詞・作曲・編曲:深町純
2.わらべ唄
作詞・作曲・編曲:深町純
3.僕は君のもの
作詞・作曲・編曲:深町純
こちらはシングルでも発売。アルバム2曲目のB面は『わらべ唄』

4.想い出の部屋
作詞・作曲・編曲:深町純
5.カラリン
作詞:加藤登紀子、作曲・編曲:深町純
6.俺らのあの娘
作詞・作曲・編曲:深町純
7.朝 昼 晩
作詞・作曲・編曲:深町純
深町純さんらしさを感じるサウンドとやさしい歌詞がいいですね。

8.ジャガイモとエプロン
作詞:伊藤アキラ、作曲・編曲:深町純
9.愛の唄
むちゃく性高、作曲・編曲:深町純
10.道
作詞・作曲・編曲:深町純

のちに日本のミュージック・シーンではなくてはならない人となった深町純さんですが、デビュー当時は、ライブ活動もあまりなく、ギターでの弾き語りが主流だった中、ピアノで歌ういうスタイルは、まだ少し珍しかったそうです。「歌う」、そう、ファーストでもそうですが、初期は深町純さんは、歌で自らの世界を表現。
わたしは、深町純さんを聴き始めたのが、いわゆるフュージョン時代だったのですが、もともとは、歌というものへのこだわりをもってらした、ということだったのですね。

『HELLO! 深町純Ⅱ』は、ボーカル作品としては、最後のもの。前作よりさらに日常の世界や愛を歌ったものが多いのですが、そのあたりのこと、矢野礁平さんによるCDライナーノーツから興味深いコメントもみられました。
当時、深町さんは、「このアルバムが駄目だと(売れないと)、自分が唄を歌う事が出来なくなってしまうと感じてた」と。「少しでも多くの人たちに自分たちの新しい唄を聴いてもらいたくて、より一般的な詞の内容を提示したのかも知れない」とも。
「僕は今まで、ずっと言い続けてきたけれど、音楽は全部歌なんだと思う。フュージョンで唄のないものをやったり、ピアノを弾いてきたりした訳だけれど、音楽家が一番やりたいことは唄を歌うことなんだと思う」と。

たしかに『ある若者の肖像』でも「僕の唄う歌が、聞く人の心の中に、少しでも想い出を作り出したら、それは素晴らしいことだと思います。喜びも悲しみも受け入れられないコンクリート・ジャングルの中に生活している僕らにとって写真やテープレコーダーに残すことの出来ないなつかしい日々、心のふるさとを捜したい。そして何かを愛したい気持ちが、僕の歌への情熱かも知れません」と書かれています。

深町純さんは、歌を通じての表現者だったのですね。その後、ボーカル作品はなく、流れやサウンドでの並はずれたワークで音のひとという印象があったのですが。きっとそのサウンドの中で、「歌っていた」のですね、きっと。

そう考えると、最近の、亀淵友香さんとのワーク(ご自身は演奏だったりしますけど)、そして、何より、それが現れていたのが、11月24日にアルバム『garden』を発売したユニット「僕らのしぜんの冒険」(ヒカシューのドラマー・佐藤正治さん、深町純さん、BARBEE BOYSのKONTAさん)での活動が、その「歌う」だったのかも知れないなぁとか。

(投稿:日本 2010年12月12日、ハワイ 12月11日)


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