今年にはいってからの私的気になりびとのひとりであるロミ山田さん。
前にも一度、あまりにも「あわわ…」すごいんだぁという感じで書いたのですけど
ロミ山田

気になりのきっかけは、平岡精二さん提供曲である『煙草のけむり』であったり、さらにはこの曲が日本語だけでなく英語版、イタリア語版でもリリースされていること、さらにさかのぼって、プロフェッショナルとしての音楽・エンターテイメントの世界へのデビューは留学先であったアメリカでのミュージカル作品『スージー・ウォンの世界』、『フラワー・ドラム・ソング』であったこと、日本人でブロードウェイミュージカルで2度主役を演じたひとはいまだロミさんだけであることなど、知れば知るほど関心事項がザクザクであったことから。当然このあたりのことは、いままでもじぶんで気にしてきた興味対象であり、放っておけるはずがなく、さらに知りたく…ということで、ロミ山田さんの著である手記『楽譜を抱いて』を読んでみました。

『楽譜を抱いて』は、2010年に芸能生活50周年を記念して書かれた、誕生からこれまでをつづられたもので、知りたかったことやはじめて知ることなどもいろいろ。掲載されている写真もすてきなものがたくさん。

わくわくと、あっという間に読みきりでした。滞在時代の経験などは、時代はかわれど、共感できることもあり。語り口調でかかれているので、さらっと読めてしまうのですが、そこからさらなる広がりも。せっかくなのでと思い、気になり事項などをまとめたり、さらに調べてみたりしています。こちらにもまとめたいこともたくさん。

でも、あまりにも、ざくざくとで、どこからまとめてよいのやら、という感じなので、まずは、きょうは、この本がどんな本であるのかということを。
ロミ山田さんに対していままでもっていたイメージは、マルチタレント的な、というものだったのですけど、この方は生粋の音楽人なのですね。文中でも「どんな形であっても、自分は一生歌い続けると思ってました」とあるのように、ほんとうに心から歌を愛する方なのですね。

そのときどきの出来事でのチャプターが歌のタイトルでくくられているのも、歌を愛する気持ちが伝わり、とてもユニークで、読みおわったいま、このタイトルをあらためて眺めてみたりしています。

本日は、そんな章ごとのタイトルを、まずはまとめのはじめとして、です。

楽譜を抱いて:ロミ山田

メモリー(Memory):誕生から少女時代(1933~1943年)
愛の喜び(Plaisir d'amor):歌う人生が始まった(1943年)
オー・ホーリー・ナイト(O Holy Night):戦争、終戦、聖心女学院の日々(1944~52年)
歓喜の歌(An die Freude):国立音楽大学時代(1952~56年)
アメリカ(America):留学準備と英語のレッスン(1956年)
ビギン・ザ・ビギン(Begin The Beguine):ボストンの日々(1956~1957年)
マイ・ウェイ(My Way):ちょっとひと休み(1958~60年)
ニューヨーク・ニューヨーク(New York, New York):スカウト(1960年)
シャル・ウィ・ダンス(Shall We Dance):アメリカデビュー(1960年)
一億の奇跡(A Hudred Million Miracles):ラスベガスの日々(1961~1963年)
蘇州夜曲(Soshu Night Serenade):アメリカのテレビショーに出演(1961~1965年)
煙草のけむり(Tabacco no Kemuri):帰国、日本デビュー(1963年~)
ハッピー・トーク(Happy Talk):岡田教和との結婚(1965~89年)
アヴェ・マリア(Ave Maria):わが子、一機(1968~2008年)
アンチェインド・メロディ(Unchained Melody):そして今-楽譜を抱いて(2010年~)

というように、本の構成は年代ごと。わたしのまとめはやや順不同かもしれませんし、そのまま年代追うように、かもしれませんが、アメリカでのテレビショー出演のエピソード、読後にいたっても、直接、間接と、さらなる広がりをいただき、わくわくでしたので。まずじめは、このあたりでしょうか…"She Ain't Got No Yo-Yo" の気になりへと…つづく

ロミ山田:支那の夜 China Night
ジャック・ベニー・ショー出演映像。

(投稿:日本 2012年5月22日、ハワイ 5月21日)

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